例外探し
何か困った事が起きたとき、どうしても思考は悪い方へ傾きます。
子どもたちに困った事が起きたときも同じです。
どうしても問題に視点が焦点化されてしまい、困っている事ばかりを考えてしまいます。
しかし、24時間、365日、その困っている事が起きている訳ではありません。
そんなこと当たり前・・と思われるかもしれませんが、問題ばかりを考えていると、まるでその問題が、24時間365日起きているような錯覚を起こしてしまいます。
問題に困り過ぎると問題ばかりに目がいってしまい、視野狭窄になってしまうのですね。
しかし、よく見てみると、困っている状況の中でも、上手く行っている場合がある事がわかります。
いつもは朝、起こしても起こしても自分で起きてこられない子が、自分で起きてくる日があります。
いつも明日の準備ができなくて怒られている子が、たまに怒られないで準備ができていることがあります。
不登校の子どもが、たまに学校に来られる日があります。
このように、上手く言っている場合を探す事を『例外探し』と言います。
困っている日が多い中で、例外的に上手くいっている場合を探す。
その上手くいっている場合が続けば、問題は解消して行くわけです。
たとえば、学校へ来る事ができなかった子が、遠足の日だけ学校へ来る事ができた。
不登校という困っているいつもの中での、例外です。
ならば、遠足が毎日あれば、この子は毎日学校へ来られるかもしれません。
不登校の解消です。
これは極端な例ですが、例外の中には、問題を解決するためのヒントが隠されている事が少なくありません。
毎日、遠足をすることは無理でも、
楽しい事から始めようとか、
少しでもやってみたいことからやってみよう
という提案はできるかもしれません。
困っているときこそ、上手く行っているときに注目します。
たいていは、困っているときばかりに注目して、支援会議を開いたりしますが、上手く行ったときにこそ会議をして、支援策を考えるのもいいですね。
追伸
不登校の子が、遠足などの楽しい行事に参加できそうな場合、行事の前に少し環境調整をしておく必要があります。
それをしないと、必ず、他の子どもたちの素直な声「楽しいときばっかり来てさ」という声が上がります。
「楽しいときばっかり来てさ」という子どもたちの声は、不登校の子を攻めているというよりは、普段、私は特に褒められもしないのに嫌な事も頑張っている・・という隠された不満の表現という意味を持っています。
「でもさ、毎日、みんなが学校へ行っているのに、家で一人で遊んでいるって楽しいかな?」
「ゲームがたくさんできていいよね。でも、一人ぼっちで、一日中ゲームすることが一週間以上続いたら、楽しいかな?」
などと、細かく聞いて行くと、遊び相手が学校へ行っているのに、一人で家で遊んでいても楽しいのは初めだけかなと、子どもたちはわかります。
楽しいときだけでも友達が学校へ来てくれるのは嬉しいと、子どもたちは、またその素直さゆえに思ってくれます。
不登校の解消には、環境の調整も大事な要素となってきます。
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