私がやる意義
昨日は、「家族療法基礎講座」全6回の2回目の講座を東京で受けてきました。
講師は精神科医。
参加者は精神科医、小児科医、臨床心理士、ソーシャルワーカー、スクールカウンセラー、精神保健福祉士・・・
私と同じ養護教諭もお一人いらして、心強かったのですが・・・
でも、多くは心理の専門家やカウンセリングの専門家の方々。
本来、治療的に使う物なので、当たり前と言えば当たり前過ぎる事なのですが・・・
この春までは、自分の仕事のために行っていたので、う〜〜〜ん、ためになる!!というワクワクと、まだまだやらなきゃという気持ちで帰って来ていました。
しかし、学校に『子どもの問題を家族と協働で支援していく(家族療法、システムズアプローチ)』という考え方とスキルを広げて行こうと決めてから、少し気持ちが変わってきました。
心理の専門家でもない私が、身の丈以上の事をしようとしているのではないか・・という思いが、講座を受けながら、ずっと頭に張り付いていました。
でも・・・ でも・・・と思います。
学校という場に長く居た私だから、伝えられることがあるのではないだろうか。
学校という場で、毎日、養護教諭として子ども達と関わって来た私が、子どもたちの問題を家族と一緒に支援するということを語る意義もあるのではないか・・・
臨床心理士の方が、スクールカウンセラーとして、学校に入っていられる事も少なくありません。
臨床心理士の方は、その専門性から、子どもたち及び子どもたちが属している学校へ、一生懸命働きかけてくださっています。
私は養護教諭です。
心理の専門家ではありません。
しかし、朝から一日、週5日、この繰り返しを学校職員の一人として、学校という場で過ごして来ました。
学校の良い所も悪い所も経験してきた私が、精神科医や臨床心理士の方と違った立場から、保護者との協働支援について伝える事は、また、意義があるのではないかと思いました。
私が学校を代表しているなんて、大それた事は決して思っていません。
ただ、困難にぶつかっていた子どもたちが、いろいろな形で困っていた子どもたちが、私をここまで育ててくれました。
あの子たちとの出会いがなければ、今の私がいないことだけは確かです。
私を育ててくれたあの子達に、力不足ではあったけれど、それでも、そんな私がやる意義もまたあるよね!?と問いながら、進むことにします。
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