変わるということ

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ここ一週間ほど、心的エネルギーが全く低くなってしまい、混迷と停滞の中にいました。

あけまして、おめでとうございます。

新年早々、テンションの低いブログで申し訳ありません。

新年なのに、テンション低いものをあげたものかと迷ったのですが、

テンション低いけれど的なのも私らしくて、またいいかなと・・・

年末頃から、全く落ち込んでいるという状況だったわけですが、どうしてだろうと考え続けてもいました。

仕事を辞めて、自分がしたいことで生きようとしているのに、何を私は落ち込んでいるのだろうか。

わかったことがいつくかあります。

一つは、環境の変化。

30年以上、同じ仕事をしてきて、

学校という場にいた年数を数えれば、小学校1年生から半世紀、ずっと同じリズムで1年を過ごして来たわけで・・

仕事を辞めて秋までの半年くらいは、開放感がそれを上回っていたので、無かったわけではなく、感じなかっただけで、

半年が過ぎて、日常が日常として落ち着いてくると同時に、

自分を襲っていた変化というものの影響を感じ出したのだと思います。

人間が生きて行く上で、ホメオスタシスは非常に大切な機能で、

それが狂ってくると身体的には非常に危機的状況になるわけで、

なので、人間は基本的に非常に保守的にできています。

変化を嫌うというよりは、本能的に変化への恐怖があるのだと思います。

逆に言えば、変化は人間にとって、すごいストレスとなるわけで、

なので、小学校1年生、中学校1年生のストレスは、どれほどのものか想像できますよね。

私は毎年、その変化の大嵐にもまれても、けなげに順応しよう、適応しようとしている1年生を(たぶんに無意識にやっているのでしょうが)

ほんとにすごいなぁと感心しながら見ていました。

もう一つ、わかったこと

環境の変化の他に、今までの自分がやったことのないことをしようとしている変化への抵抗でした。

それをやりたかったのではないか?と問われれば、確かにやりたかったのです。

なのですが、それをやるには、今まで苦手だと思っていたことをやらなければならない。

私は本当にそれをしたくて仕事を辞めたのだろうかという問が、グルグルと頭の中を回り始めました。

けっこう、苦しい問でした。

それに答えれば、そうだになりますが、でも、それをするためにやらなければならないのは苦手なこと・・と答えを出せば出すほど、ダブルバインドにかかってしまう。

昨日、友人とそのことを話していて、

自分にダブルバインドをかけているのは、確かにそのことを苦手に思っている自分ではあったのですが、

それよりも、

失敗への恐怖とか、やったことのないことへの不安とか、苦手意識からの自信喪失とか、

そういう変化を怖がっている自分が、自分へダブルバインドをかけていたのだろうと思いました。

何にしても、どんな形でも、人間にとって、変化はとても怖いものです。

でも、私の仕事は人が変化することへのお手伝い。

出来る限り、ストレスの少ない変化が望ましいし、

でも、どうしても変わることへの恐怖を感じているのならば、

今、私が欲しているような

安心して失敗できる環境と

失敗してもまたやってみようと思える励ましと

わかる わかる と変化の恐怖への共感を

私が出来る範囲で分かち合って行きたいと思えた2016年の幕開けでした。

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