ジョイニングの事例(虐待)
その子は、ネグレクト(育児放棄)とう虐待を受けていました。
虐待と聞くと、ひどい母親だとか、どうして親になったんだという非難の言葉が、ついつい口をついて出て来てしまいます。
でも、子どもの虐待という問題を解決するためには、親御さんの協力が必須です。
そんなの止めるのが当然だろう・・とか、親にちゃんとしてもらうように話すべきだろう・・などの解決策は出ます。
しかし、それが本当に解決になるのでしょうか?
以前、身体的虐待を受けていた子どもが、亡くなってしまったという記事を目にしました。
その数日前に、校長先生が家庭訪問して、保護者に暴力は振るわないように話しをしたそうです。
保護者も「わかりました」と言って、暴力は振るわないと約束をしたそうです。
でも、子どもは亡くなってしまいました。
話せばわかる、話せば暴力は止まる・・・ という大きな勘違いがあったのだと思います。
過去と人は変えられません。
校長先生も、それは重々知っていたはずです。
でも、話しをすればわかってくれて、親は悔い改め、暴力を止めてくれるだろうと思ってしまった。
説得されて、変わる人はいません。
人は、納得して、変わりたいのです。
自分を説得しようとする人のいうことを聞こうと思うでしょうか?
自分のしたことを非難し、自分の行いを変えようとする人の言う事を聞きたいと思うでしょうか?
こちらの話しを聞いてほしいと思ったら、まずは相手に、話しを聞いてもいいと思ってもらわなくてはなりません。
この人のいうことなら、少し聞いてやってもいいかなと思ってもらわなければなりません。
それは、相手への非難や、指導や、説得ではできません。
虐待をしてしまう親でも、24時間、虐待している訳ではありません。
一日の中で、育児をしているときもあるのです。
そのお母さんは母子家庭でした。
経済的に困っていたので、昼の仕事と、夕方からの仕事の二つを頑張っていました。
その合間を塗って、ご飯を食べさせ、学校の準備をさせ・・・ 疲れきってもそれをしている中で、ちょっと上手く行かない事が起こり、ついつい感情が爆発してしまい、それが子どもたちへの暴力という形になってしまいました。
お母さんはお母さんなりに、精一杯頑張っているのです。
まずは、そこを労い、がんばりを認める。
この人は、自分を否定しない人だ、自分の苦労をかわってくれようとしている・・・ そう思ってもらえて初めて、相手の言うことを聞いてもいいかなと思ってもらえるのです。
虐待は確かに惨く、親を攻めたくなります。
その気持ちは、私にもあります。
しかし、それをしてしまってはこちらの負けです。
何も解決しないからです。
虐待をしてしまう保護者にも、ジョイニングから入ると、必ず、虐待が止まります。
止まった虐待を継続させるためには、もう少し工夫が必要ですが・・・
それはまた、後日・・・
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コメント
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虐待ということについて
なんとなく虐待と言う言葉に違和感がありますね。しようとして行っている行動なら、やめた方が良いですよと伝えれば変化はすると思います。日々の生活の中で、している人は普通だと思っている行動が、虐待と言う定義の物差しではかると、悪いこと,修正しなければならないことになるだけなので、何となくしていることが意識してできることに変化しないと、繰り返される可能性大ですね。殴って教えたいことってなんだろうと尋ねることだけで変化は起きると思います。
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Re: 虐待ということについて
>>1 コメント、ありがとうございます。虐待と言っても全て程度と場合が違いますので、どこを切り取っているかの違いかと思います。しかし、いずれにしろ、しようとして行っていても、何となくしてしまっていることでも、説得から入ってしまうと、それはコントロールになるのではないでしょうか? 誰もコントロールされたい人はいないので、抵抗を生む事になってしまうのだと思います。